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先週の説教より

「水による洗礼(バプテスマ)」ペトロの手紙(一)3章18-22節(3/12説教)

 19節に「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました」とあります。つまり、主イエスは、死んだ人々がいる陰府の世界へ行って、福音宣教を行ったと言われているのです。不思議なことですが、次のように考えることができるのではないでしょうか。

 主イエスの十字架の死は本当に神に祝福された死でした。人々による十字架の断罪の死を主イエスが真実の愛と赦し、執り成しの祈りをもって受け入れられたからです。そうであれば、主イエスは神の祝福に守られながら陰府に降られたのです。それなら、神の祝福に守られた主イエスの死は、暗黒の陰府の世界にあって唯一つの光り輝く死であったのです。なぜなら、主イエスのように真に神に祝福されつつ陰府に降った死は主イエスの死以外になかったからです。そして主イエスの死が暗黒の陰府の世界における唯一つの光であるなら、陰府の世界において主イエスを知らない人は誰もいなかったし、今もいないことになるのではないでしょうか。つまり、陰府の世界においてはすべての死者たちが初めて本当に主イエスを知ることになるのです。

 地上に生きている間は、様々の理由で主イエスの本当の姿を知ることができなかった故に主イエスを信じることができなかった人が、今やすべての妨げから解放されて、愛と赦しに満ちた本当の主イエスの御姿を見ることによって、恐らく大部分の人(死者たち)は喜んで感謝の内に主イエスを受け入れ、最後的に主イエスの救いに与るものとなるのです。これが陰府における主イエスの福音宣教です。陰府の世界で初めて本当に主イエスに出会うのなら、地上に生きている間に「水による洗礼」(21節)を受け、主イエスの「霊的なバプテスマ」に与りつつ生きることが、最も確かな神に祝福される生活なのではないでしょうか。

牧師 柏木英雄