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先週の説教より

「キリストの苦しみにあずかる」ペトロの手紙(一)4章12-16節(4/16説教)

 12節に「あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません」とあります。私たちは自分の身にふりかかる厳しい困難に直面して、なぜ神はこのような困難を私にお与えになるのか、と神を疑うことがあるのではないでしょうか。しかし神は、私たち一人一人に必ず(!)「試練」をお与えになるのです。なぜでしょうか。それは信仰の「訓練」のためなのです。どんな困難があっても神、主キリストの助けに頼ること(信仰)をやめないようにという意味を込めて、神は私たち一人一人に(それぞれにふさわしい、否、必要な)試練をお与えになるのです。「なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである」(ヘブライ12章6節)とある通りです。

 13節に「キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい」とあります。「キリストの苦しみ」とは何でしょうか。それは単に主イエスが十字架の苦しみを受けるということではありません。その苦しみの中で、決して神への信頼と人々への愛を失わないという信仰の戦いのことです。そして主イエスはその戦いを戦い抜くことを通して、神の祝福を受け、復活の命を現わし、神の御子メシアとしてのご自身を明らかにされたのです。その主イエスの十字架上の信仰の戦い(それこそ本当の戦いであり本当の苦しみです!)に与ることが、「キリストの苦しみにあずかる」ことです。

 私たちの戦いは、その十字架の苦しみに勝利し、復活の命を現わしてくださった主キリストの霊の助けの中で、自分に与えられた「試練」を忍び抜くことです。そのようにして「キリストの苦しみにあずかる」時、私たちの魂はキリストと一つに結び合わされ、心の底からの信仰の喜びに満ちあふれるのです。

牧師 柏木英雄