先週の説教より
「一同は聖霊に満たされ」使徒言行録2章1-13節(5/28説教)
弟子たちは、復活の主イエスとの40日間の交わりによって心から主イエスの復活を信じる者となりました。しかし、それだけでは直ちに福音宣教に向かうことはできなかったのです。なぜでしょうか。聖霊がまだ降っていなかったからです。なぜ聖霊が降らなければ、福音宣教を行うことができないのでしょうか。聖霊が降らなければ、主イエスが「不在」だからです。そして主が共にいてくださらなければ、弟子たちは全く無力だからです。
復活の主は、弟子たちとの40日間の交わりの後、天の父なる神の御許に帰って行かれました。昇天されたのです。その時、弟子たちは主イエス「不在」の状態に置かれたのです。そして弟子たちは、主が不在であっては、たとえ主イエスを信じていてもまだ福音宣教への力を持つことはできなかったのです。
弟子たちは主イエスの聖霊の約束(5節)を信じて祈りました。聖霊が降ったのは「五旬祭」(50日目の祭、ペンテコステ)の時でした。過越祭の翌日、つまり種入れぬ祭の初めの日(主イエスの復活日!)から数えて50日目の時でした。従って弟子たちは10日間(50-40)、復活の主の約束を信じて祈ったのです。いかに弟子たちが心から復活の主の約束を信じたかが分かります。しかしそれでも、主イエスが不在であっては、福音宣教への力はなかったのです。
聖霊が降り、天に帰られた主イエスが聖霊のお働きの中でご臨在くださる時、初めて弟子たちは「主共にいます」(インマヌエル)燃えるような信仰を与えられ、力強く主イエスの十字架と復活の恵みを語り始めることができたのです。聖霊は特定の人にだけ与えられるものではありません。主イエスを信じる全ての人に(一同に!)与えられるのです。主イエスを信じ、聖霊の約束を信じて心から祈る全ての人に共通に与えられる神の救いの恵みなのです。
牧師 柏木英雄