文字サイズ
  • 文字サイズを中にする
  • 文字サイズを大にする
MENU CLOSE
キービジュアル

先週の説教より

「まことの恵み」ペトロの手紙(一)5章12-14節(6/4説教)

 12節に「忠実な兄弟と認めているシルワノによって~短く手紙を書き」とあります。シルワノ(シラス)とはペトロと共にエルサレム教会の指導者の一人です。このシルワノを通して手紙を書くということはいわばシルワノの監修のもとで書くということであり、従ってこの手紙は自分一人の考えではなく、初代教会の基本的な福音理解を表わすものであり「これこそ神のまことの恵みである」から「この恵みにしっかり踏みとどまって」(12節)信仰生活を送ってほしい、というペトロの思いが込められています。

 この手紙で最も印象深い言葉の一つが1章8節と言えるでしょう。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」なぜキリストを「見なくても信じる」ことができるのでしょうか。それはキリストの十字架と復活の真実を知るからです。「ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになる」(2章23節)という仕方で十字架の死を遂げ、それによってすべての人間の罪を贖い、罪と死に勝利する復活の命を現わしてくださったことを知るからです。このキリストの十字架と復活の真実を知る故に、小アジアの信仰者たちは「キリストを見たことがない」のに信じて「言葉では言い尽くせないすばらしい喜びにあふれていた」のです。ペテロはこの小アジアの信仰者たちの信仰をたたえているのです。

 キリストの十字架と復活こそ神の「まことの恵み」です。この恵みによって私たちの日々の生活のすべてが支えられていることを深く、広く味わうのです。それによって私たちもまたキリストを「見なくても信じ」「言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれる」ことができるのです。

牧師 柏木英雄