先週の説教より
「固く結び合いなさい」コリントの信徒への手紙一1章10-17節(7/2説教)
12節に「あなたがたはめいめい、『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』『わたしはキリストに』などと言い合っているとのことです」とあります。コリント教会に党派的な争いがあったのです。皆、主イエス・キリストを信じている信仰の友、「神の教会」に属する「聖なる人々」(2節)であるはずなのに、自分たちを導いてくれるそれぞれの信仰の指導者たちに固執することによって党派争いが生じるのです。「わたしはキリストに」とは、キリストを一人の信仰の指導者のように考えた結果でありましょう。
どこにこのような党派的な争いを克服する道があるのでしょうか。パウロの言葉で言えば、2章2節に立つところにのみその道があるのです。「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」。単に「イエス・キリスト」ではダメなのです。「十字架につけられたキリスト」と言わなければならないのです。つまり、私のために十字架にかかり、私のために復活の命を現わし、私のために聖霊において今も生きて働いてくださるキリストを信じることです。この信仰に堅く立ち、この信仰に真に生かされた時、初めて私たちはあらゆる党派争いを克服して、真の信仰の一致に生きることができるのです。
10節に「皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、堅く結び合いなさい」とあります。「心を一つにし思いを一つにする」とは「信仰告白する」ということです。「信仰告白する」(ホモロゲオー)とは「同じことを言う」という意味ですから。皆が共に心を一つにして「十字架につけられたキリスト」を告白するところにのみ、すべての党派争いを越えて「固く結び合う」ことができる真の信仰の一致の道があるのです。
牧師 柏木英雄