文字サイズ
  • 文字サイズを中にする
  • 文字サイズを大にする
MENU CLOSE
キービジュアル

先週の説教より

「霊と力の証明」コリントの信徒への手紙一2章1-5節(7/23説教)

 3節に「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」とあります。正直に自分の弱さを吐露しています。キリストとの出会いによって自分の弱さを正直に言い表すことができるようになったパウロでした。このことについてはパウロのアテネ伝道が関係しています。

 パウロはアテネ伝道で哲学好きのアテネ人にいわば媚びるように哲学的・論理的な仕方で福音を解き明かそうとしたのです(使徒言行録17章22節以下参照)。しかし、そのために力強く福音を解き明かすことができなかったのです。哲学的・論理的に福音を解き明かそうとする間に、パウロはいつの間にか生ける主のご臨在の恵みを忘れ、そこから離れたところで、自分の知恵と力によって福音を解き明かそうとしたのです。その時、パウロは心の内に「キリスト不在」を経験したのです。そのために深い疲労感を感じ、深い不安の中で心の弱さを感じたのです。そういう心の状態の中でコリント伝道に向かった自分自身であったことをパウロは正直に、反省を込めて語っているのです。

 その時パウロが決心したことが、2節です。「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めた。」単に「イエス・キリスト」を宣べ伝えるのではなく、「十字架につけられ、復活し、今も聖霊において生きて働き給うイエス・キリスト」を宣べ伝えるのです。それなら、宣べ伝える者自身が生ける復活のキリストによって生かされていなければならないのです。生けるキリストから離れて、自分の知恵と力(論理)で福音を解き明かすことはできないのです。その意味でこれからの自分の宣教は、4節「霊と力の証明」(キリストの霊的臨在の力による証明)による以外にない、とパウロは語っているのです。