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先週の説教より

「信仰に成熟した人」コリントの信徒への手紙一2章6-9節(7/30説教)

 6節に「信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります」とあります。「信仰に成熟した人」とはギリシャ語の「テレイオス」(テロス目標に達した人)です。このことに関してフィリピ3章12節以下にこうあります。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。~なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。だから、~完全な者はだれでも、このように考えるべきです」とあります。この「完全な者」が「テレイオス」です。従って「信仰に成熟した者」とは、キリストに捕らえられている故に、常に新しくキリストを追い求める者のことです。

 「知恵を語る」とあります。「知恵」とは、主イエス・キリストのことです。しかしそのキリストとは、単なる知識としてのキリストではなく、「十字架につけられ」(2節)、復活し、今も聖霊において働き給うキリストです。信仰者はこのキリストについて常に新しく語り合い、それによって常に新しくキリストの命に生かされることを求めているのです。そのために信仰者は常に「神の知恵」(7節)としての生けるキリストについて語り合うのです。

 また、主イエスは神を冒瀆する者として十字架につけられながら、それをまるで自分の罪の裁きを負うかのように従順に受け入れることによって、人間の罪の贖いを成就されました。この「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったこと」(9節)を成し遂げてくださった主キリストの計り知れない恵みを知る故に、信仰者はキリストについて語り続けるのです。

牧師 柏木英雄