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先週の説教より

「十二弟子を派遣する」 マルコによる福音書6章6-13節

主イエスは十二弟子を福音宣教に遣わす際に、一つの最も大切な権能として「汚れた霊に対する権能」(7節)を授けられました。

汚れた霊に対する権能(力)とは何でしょうか。参考になるのはマルコ福音書3章11節です。主イエスのもとにおびただしい群衆が周辺の異邦の国々からも集まって来たのです。それは主イエスの神共にいますメシアとしての歩みの「勝利」を意味しました。その主イエスのメシアとしての勝利を前に、汚れた霊は主イエスに対して「あなたは神の子だ」と叫ぶのです。つまり汚れた霊は、主イエスに対して、自分が神の子であることを誇るように誘惑しているのです。もし主イエスが、この汚れた霊(サタンの働き)の誘惑に負けて、神の子としての自分を「誇る」なら、主イエスはもはや真のメシアではなかったのです。その時、主イエスはメシアとしての「勝利」のただ中で、「敗北」したことになるのです。

これが汚れた霊の誘惑です。つまり汚れた霊は、「信仰」のただ中で、私たちを「不信仰」に導く悪の霊なのです。信仰の中で、不信仰が働くのです。自分の信仰を「誇り」、それによって他者を「裁く」間に、私たちは不信仰に陥るのです。律法学者やファリサイ派の人々がそうだったのです。しかも彼らはそのことに気づかなかったのです。信仰の中に不信仰が働くという罪の現実に気づいて、それと戦う力、汚れた霊に対して「黙れ。この人から出て行け」(マルコ1章25節)と自分に対しても人に対してもきっぱりと言うことができる力、それが「汚れた霊に対する権能」です。この権能こそ福音宣教に必要不可欠な唯一つの権能であり武器なのです。

主イエスはこの権能を授けて、十二弟子を福音宣教に遣わされたのです。

牧師 柏木英雄
(2020年2月9日週報)