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先週の説教より

「あなたがたはキリストのもの」コリントの信徒への手紙一3章18-23節(9/10説教)

 18節に「だれも自分を欺いてはなりません」とあります。「自分を欺く」とはどういうことでしょうか。信仰者が神の霊が自分の内に住んでいてくださる神の神殿であること(16節)、自分の根底に「土台」としてイエス・キリストが据えられているということ(11節)、そのことを否定することではないでしょうか。そのことが何か狭い考え方で不自由を強いられることのように感じて、そういう自分であることを否定することではないでしょうか。しかし、そのような事実(神の神殿、キリストの土台)は神が恵みとして与えていてくださることであり、その事実を「アーメン」と受け入れるところに真の信仰生活がある、とパウロは言わんとしているのです。

 その点で、自分の思い、自分の知恵に従うことは、神の御前に「愚かなこと」(19節)であると言っているのです。

 21節以下で「すべては、あなたがたのものです。~世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの」と言っています。この世におけるすべてのことは、信仰者が「神の神殿」として、「土台」であるキリストに従って生きる時にこそすべてが益となる仕方で神によって備えられている、と言うのです。

 その上で、パウロは「あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」(23節)と言うのです。キリストが「神のもの」であり、キリストの中に神の全てが備えられている故に、信仰者が「キリストのもの」として生きることが真に確かなことなのです。そうであれば、私たちはいよいよ確信をもって神の霊が住んでくださる「神の神殿」として、キリストが「土台」として据えられている者として生きていきたいと思うのです。

牧師 柏木英雄