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先週の説教より

「悪い者を除き去れ」 コリントの信徒への手紙一5章9-13節(10/29説教)

 9節以下でパウロはこう言っています。「わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう」と言っています。

 パウロらしい合理的な言い方です。この世の人々はキリストの十字架と復活の恵みを知らないのだから、罪赦されて、新しく生きる術を知らないのです。だから、この世の人々が果てしなく罪の中に留まり続けることは避けられないことである故に、そういう人々とつきあってはならないと言えば、この世を出て行かなければならない、と言うのです。

 パウロが問題にするのは、キリストの救いを知りながら罪との戦いをせず、罪の深みにはまり込んでしまった信仰者のことです。そういう人々とは交わりを持つな、「そのような人とは一緒に食事もするな」(11節)と言うのです。キリストの救いを知りながら罪との戦いができないということは、キリストの十字架の赦しにいわば甘えているからなのです。

 キリストの十字架の赦しはキリストの復活の命に与って「清さ」に生きるための恵みなのです。キリストの復活の命に与って清さに生きる努力をする時にこそ、キリストの十字架の限りに罪の赦しが有難いのです。そのように罪と戦うためにキリストの十字架の恵みを用いないで、ただ罪に甘えるために十字架の赦しに頼ることは正しい信仰の在り方ではないのです。パウロはそのことを言いたいのです。それ故に、あえて厳しい言葉を語っているのです。キリストを信じる者が罪との戦いに生きる努力をしないことは、この世の人々に深い躓きを与えることになるからです。

牧師 柏木英雄