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先週の説教より

「神の国を受け継ぐ者」 コリントの信徒への手紙一6章7-11節(11/26説教)

 パウロは6章1~6節で、信仰者同士の争いを信仰者同士の間で解決することができず、信仰のことを知らないこの世の権威(裁判所)に訴えて解決しようとすることは信仰の無力を表すことで恥ずべきことであると言ったのですが、更に鋭く問題を深めるように7節で「そもそも、あなたがたの間に裁判沙汰があること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです」と言っています。コリント教会の人たちの信仰の弱さを徹底的に批判しているのです。

 なぜ、パウロはあえてこのように厳しいことを言うのでしょうか。それは、そのことによってコリント教会の人たちの信仰の問題点を明らかにしようとしているからです。彼らは自分たちこそ信仰のことがよく分かっていると自分たちの信仰を誇り、党派争いに明け暮れていたのです。自分たちの信仰を誇っているから、党派争いが絶えず、紛争を解決する力がないのです。お互いに自分の正しさを主張するからです。そういうコリント教会の人々に自分たちの信仰がいかに貧しく無力であるかを知らせるために、パウロはあえて厳しいことを語ったのです。それによってコリント教会の人たちの心を砕き、神の御前に心からの悔い改めを献げる者となるように導こうとしているのです。

 9節で「正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか」と言っています。「正しくない者」とは正しい信仰に生きない者ということです。言い換えれば、罪を言い表すことにおいて「正しく」(正直に)自らの罪を言い表すことができない者のことです。コリント教会の人々は既に「主イエス・キリストの名と~神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされている」(11節)のです。そうであればこそ、自らの信仰の弱さ、貧しさを率直に言い表して、キリストの赦しと助けに真剣に頼るべきなのです。それが「神の国を受け継ぐ者」の本当の生き方であるとパウロは言わんとしているのです。

牧師 柏木英雄