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先週の説教より

「主に先立って行き」(アドベント第1主日礼拝) ルカによる福音書1章5-25節(12/3説教)

 メシアの先駆けとなるバプテスマのヨハネの誕生のために、その両親として祭司ザカリアとその妻エリサベトが神によって選ばれました。そのザカリアとエリサベトについてこのように記されています。「二人とも神の御前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった」(6節)。二人は、律法学者たちのように「律法主義的に」律法を守るのではなく、律法を神の言葉として正しく聞くことによって、律法によって生かされる信仰生活を感謝と喜びの内に行い、その点で「非のうちどころがなかった」のです。二人は旧約聖書の信仰を真実に生きたのです。神はそういう二人を選ぶことによって旧約聖書の信仰を成就しつつ、旧約聖書にまさる(御子イエスを信じる)新しい信仰を実現しようとしておられるのです。その意味においてザカリアとエリサベトの選びには意味深いものがあるのです。

 7節に「エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた」とあります。そのような状況においてこそ、二人の信仰は「非のうちどころがなかった」のではないでしょうか。子供がないという困難さに屈することなく、神が共にいてくださる恵みに望みを置きながら、二人は自らの人生を全うしようとしていたのです。神はそういう二人に目を留め、彼らの心の願いをかなえつつ、新しい信仰の時代への備えをされたのです。

 子供が与えられるという思いがけない天使の言葉を信じることができなかったザカリアは「口が利けなくなる」という一つの試練を与えられました(11~20節)。しかし、その試練は恵みでもありました。エリサベトの胎に与えられた命は、事実、日を追うごとに成長していったのです。ザカリアは沈黙のうちその事実を目撃したのです。その時ザカリアは、この幼子について語られた天使の言葉「彼はエリアの霊と力によって主に先立って行き~」(17節)を深い驚きと感謝と感動をもって覚えることができたのではないでしょうか。

牧師 柏木英雄