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先週の説教より

「わたしの魂は主をあがめ」(アドベント第3主日礼拝) ルカによる福音書1章39-56節(12/17説教)

 マリアは、自分でもあり得ないと思った聖霊による懐妊をまさに聖霊の助けの中で心から受け入れることができた時、改めて天使の言葉「あなたは身ごもって男の子を産む~、その子は偉大な人になり~、神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる~」(31節以下)という言葉を繰り返し心の中で反芻し、自分が旧約以来約束されたメシアの母として選ばれたことを理解したのです。

 マリアが自分の身に起こったこの驚くべき出来事を誰に知らせるべきかと考えた時、マリアの心に一番先に示された人が親族エリサベトでした。エリサベトなら同じように不思議な神の恵みを経験した者として、自分の身に起こったことを正しく理解してくれるとマリアは確信したのです。それ故にマリアは、エリサベトの住む山里のユダの町へ急いだのです(39節)。

 41節以下にこのように記されています。「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは~』」。エリサベトは、自分が生む子供が「メシアの先駆け」であることを知っていた故に(1章14節以下)、その胎内の子が喜び踊ることによって、マリアの胎の中に宿っている命が約束のメシアであることを聖霊の助けの中で知り、マリアを救い主の母として祝福したのです。

 このエリサベトの祝福の言葉を聞いた時、マリアは改めて自分がメシアの母として選ばれたことを確信し、溢れる喜びの中で47節以下に記される賛美の歌を歌ったのです。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い~」。マリアは、貧しい自分であるにもかかわらずではなく、貧しい自分であるからこそ選ばれたことを知り、心の底から自らの選びを喜び、神の憐れみの選びの御業をほめたたえることができたのです。

牧師 柏木英雄