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先週の説教より

「互いに相手を拒んではいけません」 コリントの信徒への手紙一7章1-7節(2/4説教)

 パウロは「結婚」を「キリストと教会」を指し示すうるわしい出来事と考えています(エフェソ5章31~32節)。しかし、実際の結婚は、人間の弱さと罪の故にかえって悩みと苦しみの原因になってしまいがちです。そのことを踏まえてパウロは「男は女に触れない方がよい(その逆も然り)」(1節)と言うのですが、「みだらな行いを避けるたに、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい」(2節)と言うのです。大変現実的な理解です。独身であることがかえって性の囚われとなるなら、むしろ結婚したほうがよいと言うのです。ただその場合は「夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい」(3節)と言うのです。

 パウロはここで、結婚生活の中でこそ「信仰の実践」をしなさいと言っているのです。主イエスは「汝の敵を愛しなさい」と言われました。夫も妻も、相手が自分の思い通りに扱うことができない存在であるという意味では「敵」なのです。しかし、その敵を「自分のように愛する」のです。そのようにしてこ「キリストと教会」を指し示す結婚生活を実現することができるとパウロは言うのです。「妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も~。互いに相手を拒んではいけません」(4~5節)と言っていることは、互いの信仰の実践の中でこそ意味を持つのです。

 敵を愛するためには、神の御前に自分が砕かれなければなりません。神の御前に自らの罪を深く言い表し、復活の主の霊の恵みに与って肉の思いが清められて初めて、敵を愛することが可能となるのです。このことを結婚生活の中で実践してこそ真に幸せな結婚生活を実現することができるのです。そのためには神への深い祈りが必要です。「納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ~」(5節b)と言っているのはそのためです。互いに自分自身のために祈りの時を持つことが大切なことなのです。

牧師 柏木英雄