先週の説教より
「平和な生活を送るために」 コリントの信徒への手紙一7章8-16節(2/11説教)
10節以下に離婚の禁止が述べられています。それは結婚が神から与えられた賜物だからです。創世記2章22節に「主なる神が彼女を人のところへ連れて来られる」とあります。結婚の当事者二人の思いを越えて、神ご自身が二人に「最もふさわしい人」として結婚相手を与えてくださったのです。私たちがその神の御心に従って(信仰によって)自分たちの結婚を守る時に、私たちは「ついに、これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉」(同23節)という深い出会いの喜びを経験することができるのです。
しかし、離婚が主キリストの十字架の赦しの中にあることも事実です。離婚しなければ、二人の人生がダメになると思わされる時、その時には、離婚することが許されている、否、勧められているのです。しかし、その時には、自らの至らなさ、弱さ、罪を神の御前に誠実に言い表すのです。それによって、離婚を通してかえって深く主キリストへの信仰に導かれることができるのです。
14節以下に、信者でない配偶者は信者である配偶者の故に「聖なる者とされている」とあります。これは主イエスが「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの見方なのである。~キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける」(マルコ9章40節以下)と言われた主イエスのお言葉に関わることではないでしょうか。信じていない配偶者も既に神の祝福の中にあるのです。なぜなら、その人は「終わりの日」(主との最後の出会いの時)に主を受け入れる者となることが確かだからです。
15節後半以下で「平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです。妻よ、あなたは夫を救えるかどうか、どうして分かるのか。夫よ~」と言われています。妻であれ夫であれ、人の魂を真に救うことができるのは主キリストただ一人です。それなら、結婚するにせよしないにせよ、キリストにつながる信仰生活だけが「平和な生活を送る」ためのただ一つの道なのです。
牧師 柏木英雄