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先週の説教より

「この世の有様は過ぎ去る」 コリントの信徒への手紙一7章25-35節(2/25説教)

 26節に「今危機が迫っている状態にあるので」とあります。これはパウロが「夜は更け、日は近づいた」(ローマ13節12節)という時の認識を持っているからです。「真夜中」の出来事である主イエスの十字架と復活と聖霊降臨の出来事が起こった後は、今や時は「夜明け」(救いの完成)である主イエスの「再臨」を目指して進んでいるという時の認識を深く持っているからです。

 そういう時の状況の中では「人は現状にとどまっているのがよい」(26節)とパウロは言うのです。つまり、「妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとせず~」、未婚の人は未婚のままでいるのがよい、と言うのです。

 しかし、パウロは「現状にとどまること」自体に固執している訳ではないのです。現状を変えようとすることによって、心の目がキリストから逸れることを心配しているのです。「この世の有様は過ぎ去って」(31節)いくのだから現状を変えることに心を奪われて、キリストから心の目が逸れていかないようにと言っているのです。その意味で「妻ある人はない人のように、泣く者は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように~」(29~31節)生きるべきであると言うのです。この世の事に囚われ、「思い煩って」(32節)、キリストの救いに生きる生活を疎かにしないように、ということです。

 キリストに生かされる信仰生活は決してこの世の生活を蔑ろにする生活ではありません。この世のどんな小さな事にも誠実に関わり、真剣に生き、それでいてそれに囚われない自由に生きるのです。「主が共にいてくださる」(インマヌエル)ことによって真の愛と自由に生きる力が与えられるのです。主イエスを信じる信仰生活こそ、果てしなく過ぎ去っていくこの世にあって、真に「品位のある生活」(35節)を可能とする唯一つの生活なのです。

牧師 柏木英雄