先週の説教より
「兄弟をつまずかせないために」 コリントの信徒への手紙一8章7-13節(4/7説教)
7節に「この知識がだれにでもあるわけではありません」とあります。これは、前の節を受けて、偶像とは人間が作り出した神に過ぎないのだから、そのようなもの(神)に献げた肉を食べたからといって、身を汚すことにはならない、と割り切って考えることができない人たち(ユダヤ人キリスト者)に対して配慮して語っているパウロの言葉です。
正しい信仰の知識を振りかざして、そのような「知識」に生きることができない人(信仰の弱い者、ユダヤ人キリスト者)を躓かせることは、愛のない行為であり、真に正しい信仰に生きる人の生き方ではない、とパウロは言うのです。正しい知識を持つ真の信仰者は、その正しさを隠して「愛」に生きることができる人であると言うのです。「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」(1節後半)とある通りです。本当の信仰の知恵は、神(キリスト)との交わりの中にあって愛に生かされることであり、「愛に生きることのない信仰は空しい」(Ⅰコリント13章2節)とパウロは言うのです。
「わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません」(8節)。確かに、食べ物によって信仰が問われることはないのです。しかし、食べ物によって人を躓かせるなら、それは「兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけ~キリストに対して罪を犯すことになる」(12節)とパウロは言うのです。「それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません」(13節)と言うのです。キリストを信じることによって真に自由にされ、強くされたパウロであることを思わされます。
牧師 柏木英雄