先週の説教より
「逃れる道を備えてくださる」 コリントの信徒への手紙一10章11-13節(6/9説教)
13節に「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです」とあります。信仰者が出会う最も困難な「試練」(誘惑と同義)とは何でしょうか。それは、信仰者自身の罪(不信仰)が露わになることではないでしょうか。信仰者として恥ずかしい自らの罪が露わになることではないでしょうか。その時、大切なことは自らの罪を隠さないことです。アダムとエバのように(創世記3章8節)。その時こそ、一人の罪人として神の御前にあって心の底からキリストの十字架と復活の恵みに頼るべきなのです。その時、神は「主共にいます」(インマヌエル)の恵みをもって私たちの魂を守ってくださいます。これが試練(誘惑)に耐える最善の方法なのです。
「人間として耐えられないような」試練はないとは、ギリシャ語を直訳的に訳せば「人間的でない試練はない」ということです。つまり、すべての試練は「人間的なもの」であるということです。そうであるなら、一人の人間として誠実に神の御前に立つ時、自ずから試練を乗り越えることができるように神が導いてくださるのです。
13節後半に「あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」とあります。「逃れる道」とは、直訳では「出口」(終わり)という意味です。すべての試練には「出口」(終わり)があるということです。それなら、試練から「逃れる」のではなく、試練のただ中に立ち続けるのです。一人の人間として「主共にいます」(インマヌエル)の恵みのうちにあって忍耐強く試練の中に立ち続けるのです。その時、神は、試練に耐えることができるように「出口」を備えてくださるのです。そのようにして私たちは、主を信じる信仰によってあらゆる試練を乗り越えることができるのです。
牧師 柏木英雄