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先週の説教より

「偶像礼拝を避けなさい」 コリントの信徒への手紙一10章14-22節(6/16説教)

 14節でパウロは「偶像礼拝を避けなさい」と言っています。偶像礼拝とは一般に神でないものを神として拝むことと考えられますが、それだけでなく、真の神(ヤハウェ)を「偶像化」することでもあるのです。十戒の第2戒に「あなたは自分のために刻んだ像を作ってはならない」がそれに当たります。

 そしてパウロは、私たちが礼拝の中で行う聖餐も「偶像礼拝化」する危険があると言うのです。「キリストの血にあずかること」「キリストの体にあずかること」(16節)を真剣に祈りの内に覚えることをせず、安易に聖餐にあずかることは聖餐を「偶像礼拝化」することである、と警鐘を鳴らしているのです。

 18節に「供え物を食べる人は、それが供えてあった祭壇とかかわる者になるのではありませんか」とあります。偶像に献げられた供え物を食べること自体は何の問題もないのです。なぜなら、偶像はまことの神ではないのですから。ただ、偶像に献げられた供え物を食べることによって自分の信仰の正しさ、強さ、自由さを誇り、供え物を食べることを(汚れを受けることとして)恐れる人々を裁くなら、その人(供え物を食べる人)は「祭壇とかかわる者になる」、言い換えれば、「悪霊」(20節)の支配下に身を置くことになる、従って、偶像礼拝の罪を犯すことになる、と言っているのです。

 偶像礼拝の問題は主キリストを信じる私たちの信仰においても言えることではないでしょうか。「主が共にいます」(インマヌエル)恵みも心からの悔い改めなしには偶像礼拝化する危険があるのではないでしょうか。「主が共にいてくださる」恵みを安易に考え、独り善がりの安息に浸っているなら、それは「主にねたみを起こさせる」(22節)ことになり、主は「真にわたしと共にいるためにもっと真剣に祈りなさい」と言われるのではないでしょうか。

牧師 柏木英雄