先週の説教より
「男の頭はキリスト、女の頭は男、キリストの頭は神」 コリントの信徒への手紙一11章2-10節(7/7説教)
当時の教会の礼拝において女性がヴェールをかぶることが習慣として行われていました。キリスト教会誕生の初めから自然に習慣として行われるようになったと考えられます。そのことについてのパウロの考えが示されています。
この習慣をパウロは、3節「すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神」という神の創造の秩序から説明しているのです。つまり、男性に対する女性の従順、女性の仕えるあり方から、女性が礼拝でヴェールをかぶることを説明しているのです。
パウロには決して女性蔑視という考えはありません。エフェソ5章21節で「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」と言っています。キリストに対する畏れという点では、男女の区別はないのです。全てのものが神の御前に心砕かれた者として立つ時、初めて男も女もキリストの救いに生かされることができるのです。
そして男女がそれぞれにキリストの救いに生かされた時、初めて「夫は妻の頭である」(エフェソ5章23節)ということが可能となるのです。即ち、夫は(キリストが教会を愛するように)責任的に妻を愛するものとなり、妻は(教会がキリストに仕えるように)従順に夫に仕えるようになり、夫と妻は「キリストと教会の関係」(エフェソ5章32節)を映すものとなるのです。これが結婚における神の御心であるとパウロは言うのです。
パウロは、このような神の創造の秩序から、礼拝において女性がヴェールをかぶることは女性の謙遜を表す美しい習慣であると言うのです。今日このような習慣は廃れましたが、礼拝において「すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、キリストの頭は神」という神の創造の秩序は決して失われることはないし、この秩序の中で礼拝は守られるべきである、とパウロは言っているのです。
牧師 柏木英雄