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先週の説教より

「湖の上を歩く」 マルコによる福音書6章45-52節 

主イエスは、五つのパンと二匹の魚で五千人以上もの人々を食べさせるというパンの奇跡を行われました(マルコ6章38~44節)。そのことに感動した人々が主イエスをこの世の「王」にしようと画策し始めたのです(ヨハネ6章15節)。主イエスは人々のそのような動きを警戒して、何より弟子たちがそれに巻き込まれることがないようにとの配慮から、「それからすぐ、~弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた」(45節)のです。

主イエスは、御自分がこの世の王(指導者)としてではなく、人間の罪を負って十字架の死を遂げ、復活の命を現わす「苦難のメシア」として召されていることを、弟子たちがしっかりと心に刻むことを願われたのです。しかし、弟子たちもまた主イエスのパンの奇跡に感動し、人々のそのような動きに同調する危険が十分にあったのです。弟子たちが「湖の真ん中で」「逆風のために」「漕ぎ悩んでいる」姿(47~48節)は、弟子たちのそのような心の迷いを映しているのではないでしょうか。

主イエスは、その弟子たちを見て、「夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた」(48節)のです。弟子たちはその主イエスの姿を見て怯え、「幽霊だと思い、大声で叫んだ」(49節)のです。弟子たちは主イエスのパンの奇跡の偉大さに心奪われ、「心が鈍くなり」(52節)、主イエスが神の全能の御力によって、上から守られて「湖の上を歩く」ことができるお方であることを忘れていたのです。主イエスが「湖の上を歩く」ことができるからこそ、その全能の御力をもって、パンの奇跡を行うことがおできになることを理解することができなかったのです。

 

牧師 柏木英雄