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先週の説教より

「主のはしために目を留めてくださった」(アドベント第3主日) ルカによる福音書1章39-56節(12/15説教)

 マリアは、自分の身に起こった、自分でも信じ難い出来事、聖霊によって身ごもるということを、まさに聖霊の助けの中で心から信じることができました。この時、マリアが一番会いたいと願った人は、同じように不思議な神の恵みを与えられた親族エリサベトでした。エリサベトなら自分が受けた不思議な神の恵みを理解してもらえると考えたからです。

 41節の「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった」という言葉はヨハネ3章29節の「花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ」を思い出させます。救い主の先駆けとして働くヨハネが花婿(メシア)として来られた主イエスを迎えた時の小躍りする喜びです。その喜びがヨハネの母エリサベトの胎の中で現わされたのです。その時、エリサベトは即座にマリアの胎に宿る命が来るべきメシアであることを理解し、聖霊に満たされ、「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき~」(42節以下)と語ったのです。

 マリアの身に起こった出来事を正しく理解し、全面的にマリアを受け入れくれるエリサベトの温かく誠実な態度と言葉によって、マリアは改めて自分の身に起こった不思議な出来事を心から信じ、マリアもまた聖霊に満たされて、46節以下の「マリア賛歌」を歌うことができたのです。

 「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださった」(48節)と言っています。「小さな者」であるにもかかわらず目を留めてくださったのではなく、「小さな者」であるからこそ、神は私のような者を選んでくださったのだ、とマリアは理解したのです。「小さな者」をあえて救い主の母として選んでくださる事実の中に、深い神の御心が示されている、とマリアは理解したのです。

牧師 柏木英雄