先週の説教より
「この方こそ主メシアである」(クリスマス礼拝) ルカによる福音書2章1-20節(12/22説教)
マリアとヨセフはローマ皇帝アウグストゥスによる住民登録のためにガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまで旅をしなければなりませんでした。その過酷な旅を支えたのは、マリアの胎の中に宿る命でした。マリアの胎の命が神によって与えられた命である限り、神はこの命と共に自分たちを守り給うという信仰によって、二人は支えられたのです。この信仰によって二人はあらゆる困難を乗り越え、無事、御子イエスの誕生に至ることができたのです。
主イエスの御誕生の夜、天上に賛美が起こりました。「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ』」(13~14節)。この天上の喜びは何を意味するのでしょうか。
その答えがルカ福音書15章にあります。「言っておくが、~悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(7節)、「一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」(10節)。ここにも天上の喜びが語られています。御子イエスの誕生は、神の御前に悔い改める者が誕生(出現)する喜びなのです。
御子イエスが(ご自身悔い改める者として!)神の御前に謙遜な歩みをされ、十字架の死を遂げ、復活の命を現わしてくださることによって、すべての人間が安心して神の御前に罪を言い表し、主の復活の命に与って、罪を克服する清さの中に生きることができる、その道が拓かれたことによる天上の喜びなのです。御子の誕生によってそのような道が拓かれた故に、天上の賛美が起こったのです。従って、「地には平和、御心に適う人にあれ」とは、罪を言い表して神に立ち帰る人について言っているのです。
クリスマスの喜びはこの天上の喜びなのです。この天上の喜びに与るところに私たちの喜びがあるのです。主メシアの誕生(11節)の意味を深く知るところに、クリスマスの本当の喜びがあるのです。
牧師 柏木英雄