文字サイズ
  • 文字サイズを中にする
  • 文字サイズを大にする
MENU CLOSE
キービジュアル

先週の説教より

「父のふところにいる独り子である神」 ヨハネによる福音書1章14-18節(1/12説教)

 14節に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」とあります。「肉」(サルクス)とは「罪の肉」ということですから、言、即ち、神の御子は「罪人」として人間の罪の現実の中に来られたのです。しかし、「宿る」とは、「幕屋を張る」という意味ですから、御子イエスは地上においては常に「アッバ、父よ」と祈りつつ父なる神との礼拝の交わりの中に生きられたのです。それ故、御子イエスは全く罪のない「清い」御方として地上を歩まれたのです。

 14節後半に「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」とあります。「恵み」とは、主イエスの十字架の死に基づく限りない「罪の赦し」です。「真理」とは、主イエスの復活の命によって与えられる「清さ」「正しさ」です。その意味で主イエスは「恵みと真理」に満ちあふれた御方なのです。主イエスは、限りない罪の赦しの恵みを示しつつ「あなたの罪は赦されている。だから、わたしの命に与って、まことの清さ、正しさの中に生きなさい」と常に私たち一人一人の魂の内に語りかけて来られるのです。

 17節に「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」とあります。「律法」は人間を救うことができないのです。罪人である人間は律法を真に全うすることができないし、それでいて人間は律法に励む自分を誇り、律法に励まない者を蔑むのです。律法によっては人間の罪は深まるばかりなのです。キリストの「恵みと真理」こそ、罪人である人間を救う唯一つの道です。どんなに罪深い者であっても(全ての人間が罪人!)キリストの十字架によって罪を赦され、キリストの復活の命に頼ることによって、死人をよみがえらせるキリストの全能の御力に(聖霊によって)与り、真の清さ、正しさに生かされることができるからです。

 「父のふところにいる独り子である神」(18節)、御子キリストの「恵みと真理」だけが、罪に悩む私たち人間を真に救うことができるのです。

牧師 柏木英雄