先週の説教より
「死は勝利に飲み込まれた」 コリントの信徒への手紙一15章50-55節(2/23説教)
50節に「肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません」とあります。「肉と血」とは私たち人間存在、「罪の肉」(サルクス)のことです。人間存在(罪の肉)は、そのままでは「神の国」(キリストの救い)を受け継ぐことができませんが、死ねば、受け継ぐことができるのです。そして「死ぬ」とは、私たちが神の御前に自らの罪を言い表し、罪人として立つことを意味するのです。その時、私たちの罪の体(サルクス)にキリストが聖霊において生きて働いてくださることによって、罪の体は清められ、「神の国」を受け継ぐものとなるのです。そのようにして初めて「朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐ」ことができるのです。
死ぬことが大切なのです。死ぬことが「神の国」(朽ちないもの)を受け継ぐただ一つの道なのです。それなら、死ぬことは私たち信仰者にとって「利益」(フィリピ1章21節)なのです。私たちが実際に地上の命を終えて死ぬ時、私たちはキリストの御手の中で「眠る」(51節)のです。ただ、永遠に「眠る」わけではありません。「最後のラッパが鳴る」時、即ち、キリストの再臨の時、従って、隠れて働いておられたキリストの救いの働きが誰の目にも明らかになる時、私たちは「たちまち、一瞬にして」キリストと同じ復活の体に変えられるのです(52節)。その時、「朽ちるべきものが朽ちないものを着、死ぬべきものが死なないものを着る」(53節)ことが明確になるのです。
その時、「死は勝利に飲み込まれた」(54節)のです。闇は光に勝つことができないのです。罪の闇は、キリストの光が射し込む時、一瞬のうちに消失するのです。そのことは、私たちが生きている日々の信仰生活の中で(常に新しく)起こっていることですが、キリストの再臨の日に最後決定的に起こるのである、とパウロは告げているのです。
牧師 柏木英雄