先週の説教より
「労苦が決して無駄にならない」 コリントの信徒への手紙一15章56-58節(3/2説教)
56節に「死のとげは罪であり、罪の力は律法です」とあります。「死のとげ」とは、死は私たちの心を刺して不安にする「とげ」を持っているということです。私たちの中に罪がある故に、死はそのようなとげを持っているのです。しかし、主イエスが十字架の死を遂げ、復活し、聖霊の中で生きて働いてくださり、私たちから罪を取り除いてくださることによって、死はもはや「とげ」を持たず、かえって喜ばしい「御国」(神の救い)への入り口となったのです。
「罪の力は律法」とは、律法の中で罪の力が働くということです。律法を行うことによって神の御前に自分を「正しい者」と誇る心の高ぶりが罪なのです。律法学者やファリサイ派の人々はこの罪の故に主イエスを正しく受け入れることができず、主イエスを憎んで十字架につけたのです。律法は、本来、聖なるもの(神の言葉)ですが、罪を制する力を持たず、かえって罪によって利用されてしまうのです。それ故に、律法の中で罪が働くのです。
57節に「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に感謝しよう」とあります。主イエスは、父なる神への信頼の中で十字架の死を真実に受け抜き、復活されることによって、罪と死に勝利された御方であることが明らかにされたのです。この御方に結び合わされることによって、私たち罪ある人間も罪と死に勝利することができるのです。そのことに心からの感謝を神に献げたいと思うのです。
58節に「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい」とあります。「主の業」とは、罪を告白しつつ絶えず新たにキリストに立ち帰り、キリスト御自身と聖霊によって結び合わされつつ生きることです。「主にある」信仰の歩みに日々新たに取り組むのです。そのような信仰の歩みの中では、私たちの「労苦が決して無駄にならない」(58節)し、また、どんな小さな労苦にも喜んでいそしむ力を与えられるのです。
牧師 柏木英雄