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先週の説教より

「人はパンだけで生きるものではない」 ルカによる福音書4章1-4節(5/11説教)

 主イエスはヨルダン川でヨハネから洗礼を受け、「聖霊に満ちて」帰って来られた時(1節)、サタンから「誘惑」を受け、メシアとして生きる主イエスの覚悟が問われました。40日間の断食を終えた主イエスに対してサタンは「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」(3節)とささやきました。それに対して主イエスは「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」(4節)と答えられたのです。マタイ福音書では「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(4章4節)と付け加えられています。

 「人はパンだけで生きるものではない」とは、人がパンで生きること自体は認められているのです。人はパンを食べなければ生きることはできません。人が生きることは、当然のこととして神は認めておられるのです。ただ「生きる」ことが「神の言葉を聞く」ことと切り離され、神の言葉を聞くことなしに「ただ生きる」ことが否定されているのです。神によって造られた被造物である人間は、神の言葉を聞きつつ生きることが、本来の人間の生き方であって、神の言葉から離れて「ただ生きる」ということは、人間の本来の生き方ではない、と主イエスは言おうとしておられるのです。

 私たちは、とにかく生きることが大事で、まず生きて、その上で、後から(余裕ができたら!)神を信じる信仰の生活をしよう、と考えがちです。しかしそれは、「生きる」ことと「神を信じる」ことが切り離されてしまっているのです。そして「神を信じる」ことより「生きる」ことの方が大事と考えているのです。それなら、「生きる」こと自体が「神」になってしまうのです。

 しかし、人間が生きるということは、本来、神の言葉を聞きつつ生きることであって、神の言葉を聞くことから離れてただ生きるということは、神の御前における正しい人間の生き方ではないのです。主イエスはそのことを言わんとして、サタンの誘惑を退けられたのです。

牧師 柏木英雄