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先週の説教より

「自分の故郷では歓迎されない」 ルカによる福音書4章23-30節(7/6説教)

 「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない」(23節)と主イエスは言われまた。カファルナウムは主イエスの福音宣教の拠点で、たくさんの癒しの奇跡が行われました。それと同じようなことをイエスの郷里ナザレでもしてくれとナザレの人々は要求するだろう、と主イエスは言っておられるのです。主イエスの郷里であれば、特別に主イエスから恵みを受けることができるはずだと言うのです。

 しかし、主イエスは、そういう要求がましい態度こそ神が最も嫌われることであると言わんとして、二つの旧約聖書の例を取り上げられたのです。一つは預言者エリヤの時代に大飢饉が起こったとき、イスラエルに多くのやもめがいたが、エリヤは一人の異邦のやもめにだけ遣わされたこと(列王上17章8節以下)、もう一つはエリシアの時代に、イスラエルに多くのらい患者がいたが、異邦のナアマンだけが清められたこと(列王下5章1節以下)。

 これはイスラエルの人々がまことの神をないがしろにして、神ならぬ神を崇める偶像礼拝にふけっていたことに対する神の裁きを意味します。主イエスはあえて郷里ナザレの人々にこの二つの旧約聖書の事例を取り上げ、謙遜な正しい神関係の大切さをお語りになったのです。故郷ナザレでそのようなことを語れば故郷の人々の不興を買うことは明らかでしたが、「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」(24節)と言って、敢えて厳しい言葉をお語りになったのです。

 ただ、このような厳しいお言葉の背後に、ご自身の十字架と復活の出来事が前提としてあったのです。限りない罪の赦しとすべての人間をご自身の復活の命に招く神の愛が表わされています。このような将来必ず起こるご自身の十字架と復活の出来事を前提にすればこそ、主イエスは故郷ナザレの人々に対しても敢えて厳しい言葉をお語りになることができたのです。

牧師 柏木英雄