先週の説教より
「ナザレのイエス、かまわないでくれ」 ルカによる福音書4章31-37節(7/13説教)
33節以下に「会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。『ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。』」とあります。
「汚れた悪霊に取りつかれた男」とは、精神を病んでいる人ではありません。私たちと全く同じ普通の人間です。ただ、主イエスの御言葉(説教)に敏感に反応した人、主イエスの御言葉によって自分の中に主イエスに反抗する(不従順な)思いがあることに気づかされた人なのではないでしょうか。そしてその人は、主イエスとの関わりを持つことによって自分の今までの(自分中心の)生き方が否定されるように感じて、主イエスとの関わりを拒もうとしたのではないでしょうか。
「汚れた悪霊」とは、私たちの心の中に働く「不従順の霊」(サタンの霊)です。その霊の故に、私たちは主イエスの御言葉によって私たちの心(魂)が清められることを喜ばないのです。そういう「汚れた悪霊」が常に私たちの心の中に働くのではないでしょうか。そのことに気づかされる故に、そしてそのことを不安に覚える故に、私たちは自らの不従順(不信仰)を神の御前に言い表し、主キリストのご臨在の恵みによって私の中に働く「汚れた悪霊」が取り除かれ、私の心(魂)が主の「清き霊」(聖霊)によって清められることを祈り求めるのです。これが私たちの信仰の取り組みです。私たちはこの信仰の取り組みを常に新しく行いつつ日々を生きるのです。
35節に「イエスが、『黙れ。この人から出て行け』とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った」とあります。この人は「何の傷を負わされない」どころか、代わりに主の清き霊を与えられ、喜びと感謝の内に新しい信仰の生活を始めることができたのです。人々はこの主イエスの御言葉による魂の癒し(清め)に深い衝撃を覚えたのです。
牧師 柏木英雄