先週の説教より
「人間をとる漁師になる」 ルカによる福音書5章1-11節(8/3説教)
主イエスが「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(4節)と言われた時、ペトロは「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(5節)と答えました。昨日、一晩中漁をして一匹の魚も捕れなかったのだから、この昼間にもう一度沖に漕ぎ出して漁をしてみても無駄なことだ、と内心ペトロは思いましたが、主イエスに言われれば断ることもできないので、「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言ったのです。
ところが、その通りにしてみると、「おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった」(6節)のです。そこで「もういっそうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼み」「二そうの舟を魚でいっぱいにする」と、「舟は沈みそうになった」(7節)のです。
この事実に直面して、ペトロは自分の心の高ぶりが神に「裁かれている」と感じたのです。それで「イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と言った」(8節)のです。このペトロの砕かれた謙遜な心が大切なのです。この謙遜な心に聖霊が働くことによって、ペトロは主の清き命に与って生かされる者(主の弟子)となることができるのです。それ故に、主イエスは「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」(10節)と言って、正式にペトロを主の弟子として召されたのです。
人間の魂を捕えることは魚を捕ること以上に困難なこと、否、不可能なことです。しかし、主イエスは全てを知っておられます。この主に全てを委ね、私たちは自分自身が主イエスの命に与って生かされることに専念すればよいのです。そうすれば、自ずからすべてが祝福の内に導かれるのです。
牧師 柏木英雄」