先週の説教より
「罪人を招いて悔い改めさせるため」 ルカによる福音書5章27-32節(8/24説教)
30節に「ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか』」とあります。食事を共にするということは、天上の神との交わりを象徴する行為を行うことを意味しました。それを見たファリサイ派の人々や律法学者たちは深い驚きと嫌悪の情に満たされました。天上の交わりを映す食事ならイエスは自分たちと共にすべきであるのに、なぜ神から見捨てられた徴税人や罪人たちと共にするのか、と彼らはいぶかったのです。
しかし、主イエスがおられるところに神がおられるのです。たとえ神から見捨てられた徴税人や罪人たちであっても、その交わりの中心に主イエスがおられるなら、そこに天上の交わりがあるのです。そうであれば、ファリサイ派の人々や律法学者たちのほうこそ、身を低くしてその交わりの中に入れていただくべきであったのです。
31~32節に「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」とあります。ファリサイ派の人々や律法学者たちは自分たちこそ「健康な人」であり「正しい人」であると自負していたのです。
しかし、主イエスは「本当にそうですか、あなたがたも神の御前に罪人の一人ではないですか」と暗に問うておられるのです。自分は健康であり、正しい人間であると思っている限り、主の霊の恵みに与って、主の清さ(復活の命)に生かされることはできないのです。神の御前に自らの罪を言い表し、一人の罪人として神の御前に立つことができる者だけが主の救いの恵みに与ることができるのです。それ故に、主イエスは「罪人を招いて悔い改めさせるため」に来られたのです。
牧師 柏木英雄