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先週の説教より

「父のふところにいる独り子」(新年礼拝) ヨハネによる福音書1章1-18節(1/4説教) 

 「初めに言があった」(1節)とあります。「初めに」とは、天地創造の初めと考えることができますが、具体的には、物事の初め、日々を生きることの初めと理解することができます。「言」(ロゴス)とは、主イエス・キリストご自身のことです。主イエス・キリスト御自身が私たち一人ひとりの毎日の生活の「初めに」(生きることの根底、根拠として)おられる、ということです。

 そうであれば、毎朝ごとにこの御方に立ち帰り、この御方の清き命に与って生きることが、私たちの「生きること」であるということです。そのことを改めて考えさせられます。私たちは毎日を当たり前のように自分の思いと力によって生きがちですが、 実は常に主に立ち帰り、主の命に与って自分の肉の思い(ガラテヤ5章19節)が清められつつ生きることが私たちの「生きること」の本来の在り方である、神の御心であると、ヨハネ福音書は言わんとしているのです。改めて私たちの日々の生き方が問われるのではないでしょうか。

 主イエス・キリストご自身の真実を思います。18節に「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」とあります。主イエスはどんな時も「アッバ、父よ」と御自身のすべてを父なる神に委ね、神の霊のご臨在の恵みによって人間的な肉の思いを清められつつ「霊の結ぶ実」(ガラテヤ5章22節)の中に真実に生きられたのです。

 そしてゲッセマネの園において「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」(マタイ26章39節)と言って、御自身の正しい思いをも捨てて、十字架の死を全うし、罪と死に勝利する復活の命の道を開いてくださいました。この主イエスに従う信仰の従順を深める一年であることができますように。

牧師 柏木英雄