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先週の説教より

「荒れ野で叫ぶ声」 ヨハネによる福音書1章19-28節(1/11説教)

 イスラエルの指導者たちがヨハネのもとに人を遣わし、あなたはどなたですかと尋ねさせた時、ヨハネは「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」(23節)と言いました。その意味は、ひたすら(一筋に)神の救いを求める者であるということです。ここにヨハネの自己理解が示されています。

 そしてヨハネは、主イエスの中に「神共にいます」(インマヌエル)の恵みを見出し、「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」(26~27節)と語り、人々にまことのメシアとしての主イエスを紹介し、メシアの先駆けとしての使命を果たしたのです。

 ところが、このヨハネについて主イエスは「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」(マタイ11章11節)と言われたのです。ヨハネは主イエスが「神共にいます」御方として神から遣わされたメシアであることを見抜くことができましたが、主イエスの最も大切なことについて理解することができなかったのです。それ故に「天の国で最も小さい者でも彼よりは偉大である」と言われなければならなかったのです。それは主イエスの十字架と復活の出来事に基づく、聖霊による主イエスの救いです。ヨハネはそのことを理解することができなかったのです。

 人間生活の至る所に「荒れ野」があります。どんなに恵まれたように見える生活の中にも荒涼とした罪の荒れ野があるのです。しかし、その中にヨハネの知らない、恵みに満ち溢れた「救い」の泉があるのです。どんなに罪深い人間でも神の救いに生かされることができる主イエスの十字架と復活と聖霊による救いがあるのです。ヨハネはその主イエスの救いを知らなかったのです。

牧師 柏木英雄