先週の説教より
「良い木は良い実を結ぶ」 ルカによる福音書6章43-45節(1/25説教)
「良い木」とは主イエスを信じる者のことです。しかし、主イエスを信じていても、必ずしも「良い実」を結ぶことができないのはなぜでしょうか。それは、主イエスを信じる信じ方に問題があるからではないでしょうか。主イエスを信じるとは、ただ主イエスを神の御子メシアとして信じる(確信する)だけでなく、主イエスを信じて、自分のすべてを主に委ねることです。自分を主に委ねた時に、主イエスが、聖霊の働きの中で、「死人をよみがえらせる」全能の神の御力をもって、私の中にある罪の働きを「殺し」(ローマ8章13節)、主ご自身の清き命に生かしてくださることが「起こる」のです。その時、私たちは(自分でも不思議なことですが)「良き実」を結ぶことができるのです。
そのように主イエスを信じていても、「悪い実」を結ぶことがあります。それは、私たちが主イエスから離れ、自分中心の思いに生きるからです。その時、私たちは主イエスを信じていても、主イエスを信じない人と同じように生きることになるからです。
大切なことは、主イエスを信じていても、主イエスから離れて自分の思いに生きる「弱さ」「愚かさ」「不信仰」「不従順」が自分にはあるという自覚を持つことではないでしょうか。そして、そういう自分に気づかされた時、まさにその時、「主よ、憐れみ給え、罪人の私をお助けください」と祈るのです。あのてんかんの子供を持つ父親のように(マルコ9章24節)。主イエスはそういう信仰を喜んでくださるのです。そして御力をもって「良い実を結ぶ良い木」としてい生かしてくださるのです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かな実を結ぶ」(ヨハネ15章5節)と言われている通りです。
牧師 柏木英雄
