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先週の説教より

「岩の上に家を建てる」 ルカによる福音書6章46-49節(2/1説教) 

 46節に「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか」とあります。主の言葉を「行う」とは、自分の力や判断で主の言葉を実践するということではないのです。それでは信じない人と同じように「自分を主とする」(主権的な)生き方になってしまうのです。

 主の言葉自身に「人の魂を救う」力がある(ヤコブ1章21節)のですから、主の御言葉に、いや、主ご自身に自分を委ね、主が私の中に生きて働き、主の御言葉を行うことができる者にしてくださるよう主の霊のご臨在の恵みを祈り求めるのです。それが「主よ、主よ」と言って、切に主の助けを求める祈りとなるのです。その祈りがうわべの祈りにならないように、常に心を込めて行う祈りであるようにと、主イエスは忠告しておられるのです。

 「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人」がどのような人に似ているか、それは「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている」(47~48節)とあります。それは自分の罪、心の不従順を神の御前に言い表し、一人の貧しい罪人として常に主の助けを求める人のことです。主はそういう者の祈りを喜んで聞いてくださるのです。

 それなら、「岩」とは神の御前に献げる悔い改めの祈りのことではないでしょうか。そういう祈りの上に自らの信仰生活を築くのです。その時、その人の信仰生活は堅固なものになるのです。「洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった」(48節後半)とあります。自分の信仰生活の中で、どんなに自分の不信仰、罪深さが明らかになっても、その人の信仰は揺らぐことがないのです。なぜなら、その人は「悔い改め」の祈りの上に自らの信仰生活を築いているからです。

牧師 柏木英雄