先週の説教より
「自分を捨てて、わたしに従いなさい」 ルカによる福音書9章21-27節(9/27説教)
主イエスは、ご自身の受難について語られた(9章22節)後、改めて主の弟子として生きる道(主の道)をお示しになりました。それが「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という御言葉です。
「自分を捨てる」とは、自分の正しさ(義)を捨てるということです。言い換えれば、自らの罪を告白しつつ、神の御前に「罪人」として立つということです。「自分の十字架を背負う」ということも同じです。主イエスがご自身の十字架を背負ってゴルゴダの道を歩かれたように、私たちも罪人としての道を生涯を通して歩むということです。そこに主の祝福(復活の主の霊的臨在の恵み)に与りつつ生きる唯一つの道があるからです。
「日々」と言っておられます。罪の告白は一度すればよいというのではありません。日々新しく罪を告白するのです。なぜなら、私たちは日々罪を犯すからです。日々新しく罪を告白するということは、厳しいことのように思えますが、そうではありません。むしろ、主イエスの十字架の罪の贖いに基づく限りない恵みなのです。なぜなら、いつでもやり直しがきくという意味があるからです。どんなに罪を犯しても、新しく罪を告白し、主イエスの赦しと助け(主の霊的臨在の恵み)を求めることが許されているからです。
24節に「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」とあります。私たちは「自分を現したい」と懸命に努力します。そのとき忘れてはならないことは、自分が神の御前に罪人であるということです。そのことを踏まえ、主の赦しと主の霊の御臨在の恵みに生かされる時、私たちは最も豊かに自分を現すことができるのです。
牧師 柏木英雄
