先週の説教より
「そうすれば聖霊を受けます」使徒言行録2章37-42節 (6/7説教)
ペトロは、聖霊に満たされ、情熱をこめてしかし冷静に、主イエスの福音を語りました。聖霊を受けることによって改めて主イエスの本当の姿(まさに聖霊によって生きられた姿)を理解することができたからです。また人間の深い不従順の罪、自分を含めイスラエルの指導者たちの罪を知ることができたからです。それ故にペトロは、この世のあらゆる権威を恐れることなく、大胆に、冷静にしかし愛をもって、主の福音を語ることができたのです。
そのペトロの説教に人々は「大いに心を打たれ」(深く心を刺され)、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」とペトロたちに尋ねたのです(37節)。ペトロの説教を聞き、自分たちが大変な過ちを犯したことに気づかされたからです。神から遣わされたまことのメシアを「神を冒涜する者」「偽預言者」として十字架につけてしまったことを知らされ、取り返しのつかない過ちを犯したという深い悔恨の情に導かれたからです。
その人々に対して、ペトロは「悔い改めなさい、めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(38節)と答えたのです。神の御前に罪を犯したことを知る人間がなすべき唯一のことは、神の御前に罪を言い表すことです。そしてその悔い改めの心を表すために「洗礼」を受け、生涯を神への悔い改めに生きる決意を表すことです。その時神は、罪の赦しのしるしとして聖霊の賜物を与えてくださるのです。聖霊は、「罪赦され」「神のものとされた」ことのしるしです。そこから感謝と喜びと愛に生きる生活が生まれるのです。
牧師 柏木英雄