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先週の説教より

「ほかのだれによっても救いは得られない」使徒言行録4章1-14節 (6/21説教)

 「美しい門」でペトロが行った癒しの業(3章)についてイスラエルの指導者たち(サンヘドリン議員)から「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問された時、ペトロは「聖霊に満たされて」答えました。「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と(7~12節)。

 まことに力強い、明確な信仰の告白です。「議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚い」た(13節)とある通りです。

 確かにペトロとヨハネは一介の漁師にすぎませんでした。特別な教育を身に着けた人たちではありませんでした。しかし、復活の主に生かされることによって、心の目が開かれ、肉の思い清められ、今まで見えなかったことが見えるようになったのです。何より人間の罪(心の不従順)が見えるようになったのです。このこと自体が一つの尊い「知恵」ではないでしょうか。この知恵からこのような信仰の確信が生まれたのです。そして「聖霊に満たされ」、主が共にいてくださる(インマヌエルの)恵みの中に生かされることによって、ペトロとヨハネは何物をも恐れない勇気と力を与えられたのです。

牧師 柏木英雄