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先週の説教より

「天を仰いで深く息をつき」マルコによる福音書7章31-37節 (7/5説教)

 人々が「耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った」時、主イエスは「この人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れ」「天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』(開けの意)と言われた」(32~34節)のです。

 なぜ主イエスは「この人だけを群衆の中から連れ出さ」れたのでしょうか。その人が主イエスと一対一の関係になるためだったのではないでしょうか。主イエスの恵みに与るためには、その人自身が、主イエスと一対一の関係の中で「主よ、わたしを癒してください」と心から祈るものとならなければならなかったからです。

 主イエスは「指をその両耳に差し入れ」「唾をつけてその舌に触れ」「天を仰いで深く息をつき」「エッファタ」(開け)と言われました。「天を仰いで深く息をつかれた」のは、主イエスがその人のためにご自身を献げつつ祈ってくださった、ということではないでしょうか。そして、ご自身を献げつつ祈る間に、主イエスはその人の困難のすべてをご自身の身に負われたのです。つまり、主イエスとその人の間に「交換」(交流)が起こったのです。神共にいます主イエスの清き命がその人に注がれ、その人の困難が主イエスの身に負わされたのです。主イエスの十字架と復活の出来事が、ここにおいてすでに隠れた仕方で行われているのです。主イエスの癒しの出来事の中ですでに主イエスの十字架と復活の出来事が起こっているのです(マタイ8章17節)。

牧師 柏木英雄