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先週の説教より

「まだ悟らないのか」マルコによる福音書8章14-21節(7/26説教)

 主イエスは弟子たちに「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」(15節)と言われました。それらのパン種が心に残っているために、心が鈍くなり、主が共にいてくださる(インマヌエル)恵みの尊さ、力強さが分からなくなる、と主は言われるのです。主の恵みに対して「心がかたくなになり、目があっても見えず、耳があっても聞こえなくなる」と言われるのです(17~18節)。

 ファリサイ派のパン種とは、ファリサイ派の人々の律法に対する誇りであり、弟子たちの場合は「主の弟子」であることの誇りがそれに当たるのです。このパン種のために、主と共にあることが当たり前になり、祈りの熱心を失い、そのために主が共にいてくださるにもかかわらず、その恵みに力強く生かされることができず、無力な生き方になる、と主は言われるのです。

 ヘロデのパン種とは、現実主義的な信仰の在り方のことです。この世の現実を踏まえることは正しいことですが、いつの間にかこの世の現実に心奪われ、主が共にいてくださる恵みが見えなくなり、そのためにこの世の現実の中で主の恵みに力強く生かされることができなくなると主は言われるのです。

 弟子たちは5千人の給食の時の残りのパン屑が12籠であり、4千人の給食の時が7籠であったことを覚えていました(19~20節)。それは主イエスの恵みが決して夢幻ではなく、現実の力ある恵みであることを意味しているのです。それなら弟子たちは、この世の現実の中で共にいてくださる主の恵みに頼ることによって、力ある歩みを行うことが求められていたのです。

牧師 柏木英雄