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先週の説教より

「これはわたしの愛する子」マルコによる福音書9章2-13節(8/23説教)

 「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった」(2~3節)と記され、主イエスの「山上の変貌」の奇跡が語られています。

 主イエスの山上の変貌の奇跡が行われた背景には、「六日」前に行われた主イエスの受難予告が考えられます。主イエスの受難予告によって弟子たちは深く動揺し、主イエスの弟子として生きる意欲を失う危険がありました。その弟子たちを励ます意味で山上の変貌の奇跡が行われたと考えることができます。主イエスが受難を受けるのは、主イエスが神の御子メシアで「ない」からではなく、まことの神の御子メシアで「ある」からこそ、受難を受け、人間の罪の贖いを成就するのである、それが主イエスが神から賜ったメシアとしての使命であるということを、弟子たちに教え、励ますためだったのです。

 山上の変貌の奇跡は、主イエスの「復活」の先取りと言われますが、むしろ「アッバ、父よ」と祈りつつ父なる神と共に歩まれる主イエスの罪のない清い神の御子としての本質が明らかにされたと言うことができます。

 主イエスの変貌と共に、モーセとエリヤの出現によって(4節)イエスが旧約聖書を成就する約束のメシアであることが示され、雲の中からは「これはわたしの愛する子。これに聞け」(7節)と語る天からの声が聞こえたのです。

   愛する神の御子であり、旧約聖書を成就するまことのメシアであるイエスが受難を受けるのであるから、どこまでも信頼して主イエスに従えという天からのそして主イエスご自身の弟子たちに対する励ましがなされたのです。

武山教会牧師 柏木英雄