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先週の説教より

「二人は一体となる」 マルコによる福音書10章1-12節(10/11説教)

 主イエスを試そうとしてデリケートな「離縁」(離婚)の問題がファリサイ派の人々から提起された時(2節)、主イエスは、創世記を踏まえ「天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。~従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(6~9節)とお語りになりました。

 また使徒パウロは、「この神秘は偉大です。わたしはキリストと教会について述べているのです」(エフェソ5章32節)と言い、「キリストと教会」の関係を指し示すものとして神は「結婚」を人類にお与えになった、と語りました。夫と妻が「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合う」(21節)時、即ち、夫も妻もそれぞれ共にキリストに服し、共にキリストの命に生かされる時、夫はキリストの立場を、妻は教会の立場を表すことができると言うのです。その意味において、結婚は「キリストと教会」の関係を指し示す「神秘」(奥義)として神から与えられている、とパウロは言うのです。

 結婚にはそういう意義と使命が与えられている故に、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」のです。そうであれば、「離婚」には「姦淫」の罪に問われるものがあるのです(11~12節)。その罪が神の御前に問われるのです。ただ、その罪も主イエスの十字架と復活の恵みの中に置かれている故に、主イエスの十字架によって罪赦され、主イエスの復活の命によって新しく生かされる信仰の歩みの中で、人は新しい結婚への道を新らたな神の祝福の中に歩むことができる、と主イエスは言われるのです。

牧師 柏木英雄