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先週の説教より

「子供のように神の国を受け入れる」 マルコによる福音書10章13-16節(10/25説教)

 祝福を求めて子供たちを主イエスのもとに連れて来た人々を弟子たちは叱りつけました(13節)。主イエスの受難予告で心の余裕を失い、焦りと不安の中にあった弟子たちの姿が表わされています(9章32節)。

 その弟子たちに対して主イエスは激しく憤られ、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(14節)と言われました。驚くべき主の御言葉ではないでしょうか。「神の国」とは、神の救いの支配・統治のことです。子供たちは、そのままで、神の救いの支配の中に入れられている、と言っておられるのです。

 子供も、やがて成長し、大人になります。自らの罪を知るようになります。その時には、神の御前に罪を言い表し、神の赦しをいただくことによって神の救いの支配の中に入れられなければならないのです。しかし、子供はまだ罪を知らず、従って、悔い改めを必要としません。そういう子供たちはそのままで神の愛と赦しのご支配の中に入れられている、と主は言われるのです。

 その後、主イエスは「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(15節)と言われました。大人が「子供のように」なるのは、罪を知ることを通してです。自らの罪を知り、神への悔い改めを行うことによって、大人は神の御前に「子供のように」なることができる、否、ならざるを得ないのです。そのようにして自分の貧しい罪の姿を主キリストにおける神の救いの支配に委ねるのです。それが「子供のように神の国を受け入れる」ことです。そのようにして初めて、大人は神の国に入ることができる、と主イエスは言われるのです。

牧師 柏木英雄