文字サイズ
  • 文字サイズを中にする
  • 文字サイズを大にする
MENU CLOSE
キービジュアル

先週の説教より

「永遠の命を受け継ぐには」 マルコによる福音書10章17-22節(11/8説教) 

 一人の青年が主イエスのもとに跪き、「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」(17節)と尋ねました。それに対して主イエスは「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」(18節)と言われました。なぜ主イエスはこのような否定的な言い方をあえてされたのでしょうか。それは、この青年が「何か善いことをすれば」永遠の命を受け継ぐことができると考えていたからです。その考え方を主イエスは砕こうとされたのです。

 それならなぜ、主イエスはそのすぐ後で十戒を持ち出されたのでしょうか。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ」(19節)と。これらの十戒を取り上げることによって、主イエスは青年が「主よ、私はこの掟を形だけは守ることができますが、真実にこの掟を守ることはできません。どうしたらこのような不真実な私が永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と言って、主イエスに助けを求めることを期待されたのではないでしょうか。ところが青年は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」(20節)と胸を張ったのです。

 そこで、主イエスは彼を見つめ、慈しみながら「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」(21節)と言われたのです。ここで主イエスは、この言葉の通りに「実行する」ことを青年に求めたのではないのです。そうではなく、ここでこそ青年が「主よ、私はそれを実行することができません。このような罪深い私がどうしたら永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と主イエスの御前に跪き、主の赦しと助けを求めることを期待されたのです。そのように赦しと助けを求めて主の御前にぬかずくところに、永遠の命を受け継ぐ道が備えられていたのです。

牧師 柏木英雄