先週の説教より
「先の者が後に、後の者が先に」 マルコによる福音書10章23-31節(11/15説教)
主イエスは「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」(23節)、「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(24~25節)と言われました。「らくだが針の穴を通る」とは、ユーモラスで誇張された表現ですが、富める者が神の国に入ることの不可能性が強調されています。
それに対して弟子たちが「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言い合っていますと、主イエスは「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」(27節)と言われたのです。主イエスがこのように言われた時、主イエスはこれから起こるご自身の十字架の死と復活の出来事を考えておられたのではないでしょうか。
どんなに豊かな富を持っている人であっても(あの富める青年も!)、もし人が主イエスの十字架の死と復活が自分の罪の赦しと救いのための出来事であることを知ることができるなら(そのことこそ神の裁きと選びの御業によることなのですが!)、その人は喜んで主イエスを信じ、主の十字架と復活の恵みに与る者となるのではないでしょうか。その時人は、主イエスにおける「神の国」(永遠の命)の恵みの中に生きる者とされるのです。
そして、主イエスにおける「神の国」の恵みに生きることができる時、人は初めて、パウロと共に「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています」と語る自由を与えられるのです。ただ、主イエスにおける「神の国」の恵みは失われやすい恵みであり、決して私たち自身の所有として保有することができず、常に新しく主ご自身の御手から頂かなければならないのです。そういう神の国の恵みの「危機的性質」を念頭において、主イエスは「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」(31節)と警告されたのです。
牧師 柏木英雄