先週の説教より
「聖霊があなたに降り」(アドベント第2主日) ルカによる福音書1章26-38節(12/6説教)
救い主の母として選ばれたマリアは、決して特別な立場にある女性ではありませんでした。全く平凡な私たちと少しも変わりのない女性でした。主の弟子たちがそうであったように。そういう女性が選ばれたことが大切な意味を持っていました。そういう女性から生まれる救い主であるからこそ、その救い主はすべての人間の救い主であられた、と言うことができるからです。
そういう女性が救い主の母として選ばれるために、何よりマリアが自分の救い主の母としての選びを受け入れることができるために、神は深い配慮を表してくださったのです。何よりもマリアの選びに先立って、マリアの親族エリサベトを選ばれたのです。エリサベトの選びは、救い主の先駆けとなるバプテスマのヨハネの誕生を意味していましたから、それ自身意味深い選びでした。しかし、エリサベトの選びは、何よりもマリアのためでした。マリアが自分の救い主の母としての選びを心から受け入れることができるため選びでした。
「六か月目に」(26節)ということも神の深い配慮を表しています。六か月経てば、エリサベトの懐妊が人々に知られるようになり、マリアの耳にも届いていたからです。マリアが自分の選びに最も困難を感じたのは自分には結婚の経験がないということでした。そういう人間がどうして子供を宿すことができるかとマリアは思うばかりだったのです。そのマリアに、「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに~。神にできないことは何一つない」(36~37節)と天使の言葉が語られた時、その天使の言葉と共にまさに聖霊がマリアに降り、「わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身に成りますように」(38節)と言って、心から自分の選びを受け入れることができたのです。
牧師 柏木英雄