先週の説教より
「神と人とに愛された」 ルカによる福音書2章41-52節(1/10説教)
今日の個所に12歳の少年イエスのことが記されています。12歳という年齢は当時のユダヤ社会では子供が大人になる過渡期の年齢にあたり、少年イエスがその年齢に達した時、その年齢にふさわしく、否、それをはるかに超えて一人の成人した信仰者としての自覚を持っておられたということが今日の個所で語られています。
12歳の少年イエスが両親と共に過越祭のためにエルサレムに行きその帰途に着いた時、両親は少年イエスがいないことに気づき慌ててエルサレムに引き返すと、「神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしている」(46節)少年イエスを見つけたのです。マリアがイエスに「なぜこんなことをしてくれたのです。~父さんもわたしも心配して捜していたのです」と言うと、少年イエスは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」(48~49節)と答えたのです。少年イエスは12歳にしてすでに天の神を「自分の父」と自覚し、この神のために自分を献げることが自分の使命であると考えておられたことが示されています。つまり、12歳の少年イエスはすでに両親が考える以上にはるかに精神的に、否、信仰的に自立しておられたのです。
この少年イエスの真の成熟を証しするのが51節「両親に仕えてお暮しになった」という言葉です。少年イエスは天の神を自分の父と自覚することによってこそ、現実の生活の中で自分に与えられている両親に「仕える」ことが「父母を敬え」という律法を行うことであり、それが今自分がなすべき課題であるお考えになったのです。ここに自分に与えられた現実を真に踏まえた成熟した信仰者の姿を見ることができます。そして52節に「神と人とに愛された」とあります。少年イエスが「人に愛された」のは、少年イエスが人を分け隔てせず、心から「隣人を愛した」からです。ここに真に「神に愛された」祝福された信仰者の姿を見いだすことができます。
牧師 柏木英雄