先週の説教より
「子ろばを連れて来なさい」 マルコによる福音書11章1-11節(2/7説教)
主イエスは「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい」(2節)と2人の弟子に言われました。これは主イエスが前もって準備されたようにも見えますが、むしろ神ご自身がイエスのために準備されたと考えることができます。主イエスは今、十字架の死による罪の贖いを実現するためにエルサレムに入城しようとしておられるのです。そのイエスのために神はあらゆる備えをもって応じようとされたのではないでしょうか。
「まだだれも乗ったことのない子ろば」とあります。主イエスは「まだだれも歩んだことのない」受難の道を歩もうとしておられるのです。「悪をもって悪に報いず、善をもって悪に勝利する」(ローマ12章)「十字架の死に至るまでの従順」(フィリピ2章)の道を歩み抜くことを通して罪の贖いを成就するのです。この道はまだだれも歩み抜いたことがありません。その道を歩むために主イエスは「まだだれも乗ったことのない子ろば」がふさわしいとお考えになったのです。まだ人を乗せた経験のない子ろばの歩みは覚束ないかもしれません。途中で立ちすくんでしまうかもしれません。そういう子ろばを励ましながら、主イエスは受難の歩みを全うしようとしておられるのです。
子ろばに乗る主イエスの姿は見栄えのしないものだったかもしれません。しかし、そこに不思議な権威があったのです。その権威に打たれ、人々は「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように」と詩編118編の言葉をもって歓呼して主イエスのエルサレム入城を祝ったのです。その人々の歓呼の中を主イエスは、神の導きを信じつつ十字架への道を歩まれたのです。
牧師 柏木英雄